デウスの城

伊東潤の「デウスの城」です。伊東潤メールマガジン「人間発電所日誌」で、こちらの作品が紹介されておりまして、魅力を感じて購入しました。下記がその内容の一部です。
11月16日、久しぶりの新作小説になる『デウスの城』が発売されます。
この作品は、関ヶ原の戦いから島原・天草の乱の原城攻防戦までを描いた長編小説です。戦国時代から江戸時代初期を生きた三人の男たち(架空の人物)にスポットを当て、「時代の荒波に翻弄されながらも、人はいかに生きるべきか」を問う作品になっています。

これまでキリシタンを主役にした歴史小説は多々書かれてきましたが、管見ながら、その多くは「キリシタン=いい人、幕府の役人=悪い人」という簡単な図式だったと思われます。
しかし本作では、幕府側や仏教側の立場や言い分も存分に書きました。
そこまでしないと、キリシタンたちがいかに絶望的な戦いに臨んだか分からないからです。

本作は574Pの大作となり、内容的にもキリシタン大叙事詩の領域にまで達しました。まさに「宗教とは何か」「神はいるのか」「ハライソ(天国)はあるのか」といった人間の根源に迫るテーマを私なりに掘り下げ、一つの回答を提示した作品となりました。
本作については、実業之日本社が運営するj-novelのロングインタビューで語り尽くしましたが、メルマガに登録している皆様にだけ、特別に補足したものも含めてお送りします。


プレゼンが上手いですね。僕の母方の実家が天草なので、もともと「島原・天草の乱」には興味があったのですが、そこから「宗教とは何か」「神はいるのか」「ハライソ(天国)はあるのか」といった人間の根源に迫るテーマまで掘り下げ、一つの回答を提示した作品とまで言われたら、読まざる得ないです。(*´∇`*)
 読み終えての感想としましては、満足のいくものでした。ストーリー展開も上手いとしか言い様がありませんし、3人の若者のそれぞれの人生にドラマ性があり、更に、きちんとした伊東潤なりの回答も示されておりました。
帯もいっときます。
神とは。
信仰とは。
生きるとは。

天下分け目の関ヶ原の戦いに西軍で参加した小西行長の小姓・彦九郎と善太夫、そして肥後の地で守りにつく佐平次。彼らは幼馴染の若きキリシタン侍だった。敗れて主家を失った三人はそれぞれ全く別の道を進むことに。やがて、激しい弾圧と苛政に苦しむ島原・天草の民が、奇跡を起こす四郎という名の少年の下に起ち上がった。この地で、三人は立場を変え、敵同士となり再会を果たすことにーー。
魂震わせる大河巨編!


という感じです。小西家に仕えていた、キリシタンの3人の若者が、関ヶ原の戦いの後、離れ離れとなり、それぞれの人生を歩んでいくんですね。彦九郎は「イルマン(宣教師)」となり、善太夫は「金地院崇伝の弟子」となり、佐平次は、キリシタン狩りの名人と言われるまでになり、島原・天草の乱で再会を果たします。3人の若者の、ここまでの道のりだけでも楽しめましたが、終盤に、3人の人生がぶつかり合う場面は、夜に読んでいたら涙したかもしれません。(*´∇`*)

難しさもなく、誰でも分かる様になっているので、オススメです。伊東潤の一つの回答(僕が勝手に思った)は、ネタばれになるかもなので、続きで紹介します。( ´∀`)つ


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坊主となった「善太夫」と、村の実力者でキリシタンの源左衛門との会話です。この場面が、伊東潤の答えだと思います。(勿論、それ以外にも沢山の回答を示しているので、下記が全部では無いですが)無宗教の僕には、とてもしっくりとくる場面でした。(*´∇`*)

「どうしても寺請証文を取り返したいなら、わしを殺していけ。寺請証文はあの手文庫の中だ」
善太夫が背後の部屋を示す。
「御坊を殺す、だと」
「そうだ。キリシタンにとって坊主の命を奪うなど、何ほどのこともないだろう」
半蔵が背後で呟く。
「おい、物騒なことを言うな」
それを無視して善太夫が続ける。
「わしは信仰ごときのことで、人が死ぬのを見たくはない!」
「信仰ごときだと。われらは命を張ってデウス様を信じてきたのだぞ」
「おう、そうか。だが神仏などというものは、人が作り出したものだ。さようなものに命を張るなど実に下らぬことだ」
「では御坊は、仏を否定するのか」
「仏は実在の人物だから否定はせぬ。その教えも尊いものだ。だが宗教や信仰などというものは、人の命とは比べようがないのだ」
「宣教師たちはさようには言わなかった。信仰こそ最も尊いもので、デウス様を崇めることで救われると教えてくれた」
「よいか」
善太夫が開き直ったように言う。
「宣教師たちは、なるほど崇高な志を持ってこの地にやってきた。その精神も高潔だ。しかしデウス以外の神を信じるなという。しかも公儀が出した禁教令に従わず、キリシタンに棄教を認めず、殉教せよという。さような教えが正しいはずあるまい!」
「どうしてだ!」
「命よりも大切なものがどこにある!」
「それは違う。殉教すれば必ずハライソに行ける」
「馬鹿を申すな。生き物は死ねば無になるだけだ」
「では極楽浄土もないのだな」
「ない!」
その言葉に源左衛門をはじめとした人々が啞然とする。
「では、なぜ御坊は坊主をやっている」
「極楽浄土ななくとも、仏教には尊い教えがある。それを伝えていくことで、衆生を救うのだ」


これが伊東潤の答えだと思います。(*´∇`*)