花村萬月の「槇ノ原戦記」です。
夜半獣の続編という感じです。ですので、「夜半獣」を読まないで、こちらを読んだらつまらないと思います。「夜半獣」を読んだ僕的には、1段落ちた内容だなと思いました。それなりには楽しめましたけど。(*´∇`*)
太平洋戦争。
寒村で起きた悲喜劇。
靜と綾。上槇ノ原で生まれた双子の姉妹には不思議な力が宿っていた。
天才的な頭脳と統率力を持つ靜。絶対に死なない綾。
そんな二人が成長したとき、太平洋戦争が勃発する。
食料が枯渇した村は強烈な飢えに襲われ、打開策として靜がとった行動は、長年対立してきた下槇ノ原への襲撃だった。
戦火の中、二人が人々を導く先は天国か地獄かーー。
時代的には、現代の「夜半獣」から遡って、太平洋戦争が勃発する辺りの時代です。(「夜半獣」での「所長」の幼少時代の物語となります)圧倒的な存在感だった「省悟」も出てこないので、面白さは1段落ちるのですが、それなり楽しめるかと思います。「あとがき」にて、萬月がこの作品の思いを語っておりますので、「あとがき」を読んでから、本篇を読む事オススメします。
〈槇ノ原戦記〉あとがき
欲求について考えてみましょう。精神医学者クルト・シュナイダーを下敷きにすれば、心的欲動には権力欲、成功欲、美に対する欲求、金銭に対する欲などがあります。
身体的欲動には睡眠欲、食欲、性欲などがありますが、身体的欲動は生の根源的な欲求ですから本能にごく近いといえます。
三食ちゃんと食べていれば、飢餓の果ての人肉食なんど他人事です。
けれど日本では天明の大飢饉をはじめ、強烈な飢餓が生じてきましたし、このあとがきを書いている時点でロシアに攻め入れられているウクライナなど、スターリン支配の余波で絶望的な飢餓に突き落とされました。人肉市場を信じ難いと感じてしまった、飽食して充たされている自分自身の心に忍び込んでいる偽善が許せずに、絶食してみました。
四日めで、あっさり絶食終了です。
よく頑張ったと思います。なにしろ身近に食べる物はいくらでもあるのですから。
問題は、自らの意志で行う絶食ではなく、押しつけらえた飢餓だ。
果てのない暗黒に覆いつくされた飢餓だ。
そのとき私はどう振る舞うか。
絶食中に実感しました。
飢えた私は、たとえ家族でも食べるでしょう。殺しはしないせよ(あるいは殺す?)先に死んだ家族を食らうでしょう。自身の血と肉とする。
かなりの絶望に襲われました。
まさに神も仏もないという境地です。
救いは、ない。
けれど救い云々、神様云々を図々しく口走ることができるのは、三食ちゃんと飯を食っている者、飢えていない者の傲慢だ。
サクリファイス、救済、宗教心。それらを真に掴むことができるのは飢餓の極限にある者だーーというのが私の得た結論でした。
ひかりごけ、野火ーーといった先達の作品を持ち出すまでもなく、飢餓、そして食人は文学の重要なジャンルです。
私は前作〈夜半獣〉を書いていたことから朧気に食人を書かねばならないなーーと、心の底で思っていました。
私はそれを娯楽作品で顕したい。
重要な主題であればあるほど、硬直した文学誌などに掲載したくない。
そんな自負とともに〈槇ノ原戦記〉を書きあげました。
この「あとがき」で萬月の【食人】への思いは伝わってきたのですが、作品の中の【食人】は、ライトでぬるい感じでした。どうせなら徹底的に描いて欲しかったです。(詳細などを)「日蝕えつきる」レベルのエグさが欲しかったです。(*´∇`*)
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