伊東潤の「浪華燃ゆ」です。大塩平八郎の半生を描いた作品です。面白かったです。帯にもありますが、この大塩平八郎の乱から、江戸幕府の瓦解が始まったと言われてます。僕が学生の頃の日本史の授業で印象深かったのですが、先生曰く、幕府の役人だった者が反乱を起こしたという事が、当時「あり得ない」という点で、幕府や庶民に至るまで、かなりの衝撃的な事件だったとの事です。先生曰く、1860年の「桜田門外の変」に次いで、この乱が衝撃事件2位の事件と言ってました。(先生の予想では)では、内容紹介にいってみましょう。
わしは己に厳しくあらねばならぬ。
陽明学を究めた学者でもあり、大坂町奉行の敏腕与力でもあった大塩平八郎は、家族、門人たちをも巻き込んで、命を懸けた世直しに挑む。
立場にあぐらをかき、豪商と結託して私腹を肥やす上役ども。
立身出世に目がくらみ、悪事に立ち向かえない同僚、同輩。
世のため人のためにならぬ御託ばかりを並べる学者たち。
この男は、すべての不正を許さない!
江戸幕府の瓦解はここから始まった。
歴史時代小説の実力派・伊東潤が大塩平八郎の乱を描く!
大塩平八郎の生い立ちから、反乱を起こすまでの出来事が綴られておりまして面白かったです。1833年から始まった飢饉では、大量の餓死者が出た訳で、それに伴い、各地で百姓一揆や打ち壊しが起こりました。しかし、その惨状に心を痛めて、元役人が乱を起こしたという事が、当時の相関図としては有り得ない事だったんですね。では、大塩平八郎とはどんな人だったのだろう?と興味を持ったら、是非、この作品を読んで頂ければと思います。(*´∇`*)
続きで印象に残った場面を( ´∀`)つ
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平八郎と祖父の政之丞との会話です。
僕が思う、この作品のキーワードと言えるのが「太虚」なんですね。後半の平八郎と息子(養子)の格之助の会話は、この「太虚」を巡ってのやり取りとなりましてアツくなります。太虚の一番の基本的な部分は、上記の内容となります。
雑学の知識として勉強になった場面です。
多分、女性が参加した際の飲み会で、この知識を披露しちゃうと思います。(*´∇`*)
平八郎が息子の格之助に反乱を打ち明けた場面です。
奉行所の内部事情を知っているだけに、これしかなかった事が伺えます。他にも手があったのでしょうが、この選択をしたからこそ、後世に残り、本にもなったのだと思います。(*´∇`*)
「だからこそ平八郎、心を洗うことを怠るなよ」
「はい。お祖父さまの教えを守り、どんなに寒くとも毎朝、井戸水で体を洗い、その時に心の澱も洗い流します」
「そうだ。常に刷新された心で、向き合うのだ。さすれば内なるものが道を指し示してくれる」
「内なるものは太虚ですね」
太虚とは心境の無垢にして清澄なる状態のことで、その状態を保つことができれば、いかなる時でも正邪善悪が識別できるという。簡単なことのように思えるが、人は生きていくことで、様々なしがらみに囚われ、正邪善悪の区別がつけられなくなることがある。そんな時、太虚に立ち戻ることで、道が見えてくるのだ。
僕が思う、この作品のキーワードと言えるのが「太虚」なんですね。後半の平八郎と息子(養子)の格之助の会話は、この「太虚」を巡ってのやり取りとなりましてアツくなります。太虚の一番の基本的な部分は、上記の内容となります。
雑学の知識として勉強になった場面です。
「さすが酒は大坂だ。灘の酒ってのは、どうしてこんなにうまいのかね」
重蔵が徳利を差し出した、平八郎は自分の小さな盃でそれを受けた。
「関東では、上方から下ってくる酒を『下り酒』と呼ぶ。一方、関東の地廻り酒は『くだらない酒』 として蔑まれた。それが『くだらない』の語源だ。それゆえわしは関東の酒は飲まなかった。くだらない者になりたくはないからな」
多分、女性が参加した際の飲み会で、この知識を披露しちゃうと思います。(*´∇`*)
平八郎が息子の格之助に反乱を打ち明けた場面です。
「格之助よ、『恕』という言葉をしっているか」
「もちろんです。義父上は『民を慈しみ、民のための政道を目指すこと、すなわち恕によって民を慈しむことこそ、国を治める者の義務』と仰せになりました」
恕とは、孔子が『論語』で唱えた言葉で、「人を思いやる心」という意味になる。だがそれだけでは、ことばの意味が伝わりにくいと思ったのか、孟子は「忍びざるの心」とした。すなわち他人の悲しみや苦しみを見て、我慢できずに駆け出してゆく衝動や本能に近い心のことだ。
「格之助よ、この窮状を見ながら、何もしないのは人として罪になる」
「それなら奉行所の前で腹をきりましょう。われら二人で切れば、江戸にも伝わります」
「それこそ無駄死にだ。抗議の自害は分かるが、われらの切腹を見て跡部が悔い改めると思うか。うるさいのが二人いなくなったと思うのがおちだ。だが大騒動を起こせば、跡部は責を負って失脚す。さすれば後任の奉行どもは、無為無策では第二、第三の大塩平八郎が出てくると思い、救恤策を練るだろう」
奉行所の内部事情を知っているだけに、これしかなかった事が伺えます。他にも手があったのでしょうが、この選択をしたからこそ、後世に残り、本にもなったのだと思います。(*´∇`*)



















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